なぜ「普天間第二小学校の移転計画」は、頓挫したのか?

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投稿者:くすのき通り

トピック「宜野湾市長選挙はどっちが勝つか? 」で、1982年から92年にかけての「普天間第二小学校の移転計画」について議論が続くようなので、新しく建てます。

2010年1月の産経新聞で 宮本雅史那覇支局長(当時)が署名記事を書いたことで、ここ5年ほどは、本土の人たちはもちろん、沖縄県民でさえ、「基地反対の市民団体などの抵抗・妨害で、小学校の移転計画が頓挫した。」と思っている人が多いようです。
しかし、それは正しい理解でしょうか。

争点は、

争点1. 「国の補助による予算確保がされた」のは事実なのか。

争点2. 「移転用地が用意された」のは事実なのか。

争点3. 「基地反対の市民団体などの抵抗・妨害」で頓挫したのか

matome.naver.jp/odai/2145205875302404601

では、争点1. 2.が否定されるので、これらが移転断念した理由であって、「基地反対の市民団体などの抵抗・妨害」で頓挫したわけではないと主張されています。

(ご注意)
できるだけ、信頼のおける出典を明示して、議論してください。

上記の争点に関連する議論以外はしない。(上記リンク先にある、「産経の記事の書かれた背景」にも触れないこと)

1982年ころから92年移転断念PTA決議までの期間のことに限定する。

本文下
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コメント

  1. 投稿者 より:

    本文内のNaver(リンク先)は、
    トピック「宜野湾市長選挙はどっちが勝つか? 」でしていた議論が、
    リンク先に書かれた出典を参考にして、議論の素材にした経緯から
    リンク先を上げたまでのことですので、
    これにこだわらずに議論してください。

    ただ、とりあえず、わたしはNaver(リンク先)の主張を支持します(ただし「産経の記事の書かれた背景」は、判断不能につき除外)。
    そこで、これへの反論という形で始めてもらえれば簡便と思います。

    関連する範囲で他にも争点があるなら、提起してください。

    議論のやり直しになる部分もあると思いますが、
    このスレだけを見ても議論が分かるようにするために、もう一度議論をお願いします。

  2. 匿名 より:

    事業債の起債は、国からの補助金じゃないから
    その話はもうNGということでよろしく。

  3. 匿名 より:

    狼魔人が、ここへ来ないかねー。

    タイムスの記事を無理からな解釈しているので、誤りをブログのコメントで指摘しても、全部、削除しやがる。

  4. 匿名 より:

    狼魔人日記の書いている
    沖縄タイムスに対する批判、反論は

    「産経新聞はウソを書いていました」と認めた上でないと成り立たない

    ことに、狼魔人は、気付いているのだろうか。

    たとえば、
    >そもそも国が市の小学校移転に補助する制度などあるはずがない。
    それでは、産経の言う「安次富市長が、防衛施設庁とも協議して移設予算も確保した」
    のは、どのような予算(資金)なのか

  5. 匿名 より:

    >事業債の起債は、国からの補助金じゃないから
    >その話はもうNGということでよろしく。

    日本語が普通に解れば当たり前の話と思うけど、
    移設頓挫を基地反対派のせいにしたい人達は、納得したのかな?

  6. 匿名 より:

    すでにネ申の領域だから、関わらない方がいい。

    何度説明しようとも、同じことをループするだけです。

  7. 匿名 より:

    彼以外は、みなさん、きちんと理解してますよ。

    ですから、その話はもうNGということで願います。

  8. 匿名 より:

    沖縄タイムス・琉球新報・革新系議員・沖縄左翼は、昔も今も真実を隠蔽し平気で自作自演をしつ続けている。当時は今よりもっと情報操作はやりたい放題それを考えれば産経新聞の方が信用できる。

    今も昔も革新派や左翼は米軍を追い出して革命を起こし沖縄に理想の共産国を作る事が夢、「世界一危険な小学校」というインパクトのあるシンボルを左翼は絶対に手放さない。

    たとえ、国が土地や費用を用意しても必ず「固定化につながる」と言って反対するのは確実、「だって本当の事でしょう」と反対派が今も言っているように当時も言ってたってこと。

  9. 匿名 より:

    結局、ただの思いこみなの?

  10. 匿名 より:

    (ご注意)
    信頼のおける出典を明示して、議論してください。

    争点に関する事実の存否を、証拠、根拠を明示して議論しましょうね。

    絶対、必ず、確実、なる語は、証拠、根拠とともに使おうね。

  11. 匿名 より:

    沖縄タイムス・琉球新報が信用できないというなら

    matome.naver.jp/odai/2145205875302404601

    に引用リンクされている、衆議院議事録を読めばいい。

    なお、産経新聞の記事は、衆議院議事録とまったく整合しない

  12. 匿名 より:

    3月5日7:22分さんこちらも読んでね。

    反対運動について
    宜野湾市立普天間第二小学校1969年4月1日に開校。出典は小学校のサイトから。この時点で基地は既にあったのだから誰かロケーションについて突っ込まなかったのか? 1972年5月15日に沖縄返還

    国会の議事録に普天間第二小学校の話題が初めて出てくるのは「67-衆-沖縄及び北方問題に関する特別委員会-12号 昭和46年12月11日」かしら?この時は基地からの排水で付近の畑が水浸しというクレームね

    「67-参-沖縄及び北方問題に関する特別委員会、内閣委員会、法務委員会、文教委員会連合審査会-1号 昭和46年12月20日」この時に既に普天間第二小学校のヘリコプターの騒音が取り上げられているわ

    「96-衆-沖縄及び北方問題に関する特別委員会-6号 昭和57年03月10日」小渡三郎の発言。宜野湾市は普天間第二小学校の移設候補地について昭和55年12月12日付で要請

    普天間第二小学校移転用地選定の経緯について詳しいのは「96-衆-沖縄及び北方問題に関する特別委員会-6号 昭和57年03月10日」小渡三郎委員の発言よ

    国会議事録より小渡委員「(普天間第二小学校移転候補地は)宜野湾市にありますキャンプ瑞慶覧のFAC六〇四四」

    国会議事録より小渡委員「(普天間第二小学校)移転地における(軍用)地主の皆さん方でございますが、五名おられますけれども、その五名の地主の皆さんも学校用地であるならば結構でございますということで、これも開放に同意をいたしております」

    小渡委員「それで、その開放を希望している地域は住宅地域なんですよ。平屋でございますから二階にすれば簡単に(普天間第二小学校の生徒を)収容することができるわけでございます。御検討いただいて、即刻対応していただくように要請をいたします」

    「96-衆-沖縄及び北方問題に関する特別委員会-6号 昭和57年03月10日」普天間第二小学校移転について。伊藤参午防衛施設庁施設部長より米軍、宜野湾市と協議中。小学校移転候補地の地主、沖縄県は同意。当時の宜野湾市長は安次富盛信

    「109-衆-沖縄及び北方問題に関する特別委員会-2号 昭和62年08月19日」普天間第二小学校移転について。森山浩二防衛施設庁施設部連絡調整官より。宜野湾市長から小学校移転の要望。防衛施設庁が米軍に用地返還要請。米軍側条件付きで返還可能と回答

    「109-衆-沖縄及び北方問題に関する特別委員会-2号 昭和62年08月19日」森山浩二防衛施設庁施設部連絡調整官より。米軍は普天間第二小学校移転後の建物を事務所とか倉庫に使いたいと条件を提示

    「109-衆-外務委員会-3号 昭和62年08月21日」渡辺允外務省大臣官房審議官より経緯の説明。宜野湾市長(桃原正賢)より普天間基地の返還要請。当初、市から普天間第二小学校移転のため米軍のキャンプ瑞慶覧の一部返還要求。米軍条件付きで可能と回答。市の返事待ち

    「109-参-決算委員会-閉4号 昭和62年10月16日」佐藤昭夫の発言。米軍側は基地の一部を普天間第二小学校移転用地として返還する代わりに現在の普天間第二小学校の土地を米軍基地の一部として使用したいと条件を付ける

    「昭和62年第7回沖縄県議会(定例会)第2号10月5日」より。社民党の県議・友寄信助の質問から。普天間第二小学校の移設について。米軍側が移転先用地を返還する条件として小学校跡地を使用したいという要望。基地縮小を訴える立場からは容認できない

    「昭和62年第7回沖縄県議会(定例会)第2号10月5日」これで、一応結論が出たかしら?普天間第二小学校移転に際して、社民党沖縄県連の反対運動があったのは県議会の議事録にも記載されている

    沖縄県議・友寄さんの発言は明らかに 第二小学校児童の安全より反米軍基地を優先しています。そして2010年の9月30日、伊波洋一宜野湾市長のツイートから「再来年度に新設小学校を建設するため、今年から用地買収に入っている」市に移転の予算が組めないわけではなさそうです

  13. 匿名 より:

    ね、左翼ってメディアもマスコミも左翼議員も左翼市民もオール左翼で嘘つきでしょう!
    こうやって戦後ずっと日本も沖縄も嘘と捏造で情報操作して歴史を歪めてきたのです。

  14. 匿名 より:

    2016年3月7日 11:50 AMについて

    いつもながら無駄なコピペをたくさん貼りますね。

    要約すれば、

    宜野湾市は、候補地を変更しながら米軍に用地の返還を要請した。
    軍用地主も賛成していた。

    しかし、
    米軍側は、条件付きで返還可能と回答。
     条件とは移転後の第二小学校跡地、建物を基地に編入すること

    何度も交渉しても、米軍側は、「条件付き」を変えなかった。

    だけですね。

    matome.naver.jp/odai/2145205875302404601
    に書いてあることとみごとに合致する。
    証拠を補強してくれてありがとう。

    なお、2010年の伊波市長のツイート??
    問題の時点は、1992年以前のこと。

    2010年は、問題時点から18年も経った後のことですね。
    普天間移設が決まった後だし。

    オツムおかしい

  15. 匿名 より:

    3月7日12:31PMの航空写真を見ると、現在の小学校より移設先の土地の方が約2倍近くあるし、そこを返還してもらえるなら子供の安全を第一に考えて交換条件を飲む方が自然な流れだと思う。

    基本的に、土地がたくさんある中であえて基地の隣に誰が小学校を建てようと言い出したのか?

    最初から目的があってやってるとしか思えません。

  16. 匿名 より:

    matome.naver.jp/odai/2145205875302404601
    の作者に
    証拠を補強できることを伝えたいけど、
    あそこへのコメントや連絡はどうすればいいの?

  17. 匿名 より:

    2016年3月7日 12:31 PMのリンクについて

    「移転費用を防衛庁などに求めていたが、基地の危険性を補償対象にする法律はないと門前払いされたという。
    移転用地の購入や造成などにかかる費用はおよそ50億円。
    市単独ではとてもねん出できない金額で断念せざるをなかった」「“普天間第二小学校の跡地を米に提供する。”と書いていた。」

    matome.naver.jp/odai/2145205875302404601
    に書いてあることとみごとに合致する。
    証拠を補強してくれてありがとう。

  18. 匿名 より:

    2016年3月7日 2:45 PMさん

    第二小学校(跡地)は、市有地じゃありませんからね。

    たとえ仮に、市が承諾しても、
    それだけでは話は進まないんですよ。

  19. 匿名 より:

    >土地がたくさんある中であえて

    土地がたくさんあるなら、文部省基準の半分しかない土地には建てませんよね。

    なにより基準違反なんですから、文部省も許可しませんよ。

    あそこしか土地がなかった。
    しかも、児童急増で急迫していたから、

    文部省も許可したんでしょ

  20. 匿名 より:

    反対したのは誰か?
    頭がおかしいのは貴方の方ですよ、まともな頭があれば子供の危険を避けるための手段を優先する。

    反対派は移設なんてさせる気なんか最初っからないってこと、3月7日 11:50 AMで注目すべきは、

    ★「昭和62年第7回沖縄県議会(定例会)第2号10月5日」より。社民党の県議・友寄信助の質問から。普天間第二小学校の移設について。米軍側が移転先用地を返還する条件として小学校跡地を使用したいという要望。基地縮小を訴える立場からは容認できない

    「昭和62年第7回沖縄県議会(定例会)第2号10月5日」これで、一応結論が出たかしら?普天間第二小学校移転に際して、社民党沖縄県連の反対運動があったのは県議会の議事録にも記載されている

    沖縄県議・友寄さんの発言は明らかに 第二小学校児童の安全より反米軍基地を優先しています。そして2010年の9月30日、伊波洋一宜野湾市長のツイートから「再来年度に新設小学校を建設するため、今年から用地買収に入っている」市に移転の予算が組めないわけではなさそうです

    読んで欲しいのはここなんだけど、、見方が違うとこうも違うんだね。

    それと移設先の土地と現在の土地を比べても移設先の方が約2倍の広さ、交換条件を飲むことが基地が増えることにはならない。

    反対派は必至だけど、貴方のコメントからは子供たちに対する愛は微塵も感じられない。

    反対派からのコメントからは子供や年配者、そして沖縄をイデオロギーのために利用していることしか伝わってきません。

  21. 匿名 より:

    >2016年3月7日 11:50 AM
    >「昭和62年第7回沖縄県議会(定例会)第2号10月5日」より。社民党の県議・友寄信助の質問から。普天間第二小学校の移設について。米軍側が移転先用地を返還する条件として小学校跡地を使用したいという要望。基地縮小を訴える立場からは容認できない

    なるほど反対の事実があり頓挫したということなんですね。
    だから産経の記事はデマだと言うことが琉球新報もタイムスも言えなかった。
    事実を突き止めようとすればするほど自分たちの首を絞めることになるから

  22. 匿名 より:

    反対運動があった。社民党の県議が反対した。
    ってだけだろ。

    matome.naver.jp/odai/2145205875302404601

    も反対運動があったことは認めてる。

    しかし、移転できなかったのは、
    「予算不足」と「米軍の条件」だったと書いてるわけですが、

    理解できませんでしたか?
    仕方ないですね。オツムおかしいんだから

    伊波市長のツイートは、2010年だろ
    問題時点から18年も経った後の と繰り返しておきます

    愛を語る前に、事実(と私の書いたこと)を確認してね

  23. 匿名 より:

    >文部省も許可したんでしょ

    クリアゾーンに公共施設や普天間第二小学校をつくったのは宜野湾市であって文部省ではない

  24. 匿名 より:

    ここから先は
    ネ申の領域のようだから、わたしは、これで退散します。

  25. 匿名 より:

    >しかし、移転できなかったのは、
    「予算不足」と「米軍の条件」だったと書いてるわけですが、

    予算不足とは書いてません
    そして米軍の条件に何の問題が?
    児童の命より普天間第二小の固定化ですか?

    >ここから先は
    >ネ申の領域のようだから、わたしは、これで退散します。

    あなたは悪魔の領域にいますからね。
    退散願います。

  26. 匿名 より:

    オウンゴールの ネ申 だな。

    さすがのゲ レンぶりだわ

  27. 匿名 より:

    >何度も交渉しても、米軍側は、「条件付き」を変えなかった。

    まさにオウンゴールだったな。

    反対派自ら米軍の「条件付き」が認められなかったので第二小の移設ができなかったと
    認めている。

    今の辺野古移設の「条件付き」と一緒

    自分たちのイデオロギーのために沖縄県民を利用している辺野古反対派は
    まさしく鬼畜と言ってもいいでしょう。

  28. 匿名 より:

    >しかし、移転できなかったのは、
    >「予算不足」と「米軍の条件」だったと書いてるわけですが、

    >理解できませんでしたか?
    >仕方ないですね。オツムおかしいんだから

    バカですね〜、当時のタイムの記事に「PTAや保護者の反対で移設断念」と書いてありますよ、当時の教師や保護者は日教組に洗脳された左翼ばかりだったの知らないの?

    予算不足と米軍の条件はたてまえすよ、左翼は左巻きだから理解できないと思うけど。

  29. 匿名 より:

    【沖縄の真実】 普天間第二小学校建設と普天間基地の歴史
    ~「世界一危険な基地」になったのは、1970年代

    matome.naver.jp/odai/2145713863905515101

    が、できていた。

  30. 匿名 より:

    >土地がたくさんある中であえて

    ここでも理解力がないですね〜、移設先の話ではなく先ず原点に目を向けましょうという事ですよ、普天間飛行場が出来たのは、1945年で1953年には滑走路が延長されたが、その頃にも普天間飛行場の周辺には殆ど何もなかった。

    普天間飛行場の周辺に人口が増え始めたのは、宜野湾村が市になった1962年頃からであり、普天間第二小学校が建設・開校したのは1969年であり翌1970年の写真を見ても判るように、普天間飛行場の周辺には、まだ殆ど家などはなかった。

    なのな何故

    >基本的に、土地がたくさんある中であえて基地の隣に誰が小学校を建てようと言い出し>たのか?

    ですよ、意味わかりませんか?

    1972年5月15日に沖縄返還、アメリカ統治時代だったので文部科学省は全く関係ありませんよ、琉球政府です。

    わかりますか? 当時の航空写真もありますよ

    >あそこしか土地がなかった。
    >しかも、児童急増で急迫していたから、

    >文部省も許可したんでしょ

    ナイチャーだからわからないんでしょう?
    こんなコメント恥ずかしいですよ。

  31. 匿名 より:

    オウンゴールの ネ申 

    内容も理解できないのに、
    長文のコピペを貼りまくるから、
    そういうことになる。

  32. 匿名 より:

    この反対派(なげキング)はマジでヤバイ人間です。(クレイジーです)

    2016年3月7日 3:31 PM
    ここから先は
    ネ申の領域のようだから、わたしは、これで退散します。

    2016年3月7日 4:06 PM
    オウンゴールの ネ申 だな。
    さすがのゲ レンぶりだわ

    2016年3月7日 5:40 PM
    オウンゴールの ネ申 

    内容も理解できないのに、
    長文のコピペを貼りまくるから、
    そういうことになる。

  33. 匿名 より:

    土地があったのは、佐真下とかのほうだろ。

    普天間から喜友名にかけて、人口急増で分離、新設することになったんだから。
    あの狭いエリアに土地は残ってないよ。

    公立小学校は、児童が徒歩通学可能な距離というのがあるから、どこにでも造れるというものではないな。

  34. 匿名 より:

    あれ
    撤退したんじゃないの?

    >オウンゴールの ネ申 

    >内容も理解できないのに、
    >長文のコピペを貼りまくるから、
    >そういうことになる。

    長文理解できないの?
    他の人はちゃんと理解しているのにね、だ・か・ら・オウンゴールの 神が自分だと気がつかないんだよ〜 民主党か!(≧∇≦)

  35. 匿名 より:

    佐真下あたりも家がないのは、あそこも基地の敷地内で、黙認耕作地だったから。

  36. 匿名 より:

    普天間小学校ができたのはちょうど60年安保闘争の終わりから〜70年安保闘争の頃、本土から左翼や日教組が押しかけ教師や公務員を洗脳してた頃。

    県民は本土復帰を願って日の丸を掲げていたのいつの間にか赤い旗に変わっていった頃、

    何故、基地の隣に小学校を建てたのか理由がそこにあるような気がするな〜。

  37. 匿名 より:

    第二小学校が開校した1969年は、琉球政府でした。
    本土の文部省基準の適用の話を
    沖縄タイムスかなにかの記事で読んだ気がしたが、探しても見つからなかった。
    第二小学校開校が、文部省とは関わりないので、文部省の許可云々の話は取り消します。

    ついでに
    >本土から左翼や日教組が押しかけ
    という証拠はあるかい?

    それこそ、米軍統治で、左翼の渡航は、許可がおりなかったはずだがな。
    本土に留学していて、学生運動をして、里帰りできなかった人もいた。

    押しかけってのが、数人とかならあるかもだが。

  38. 匿名 より:

    >ついでに
    >>本土から左翼や日教組が押しかけ
    >という証拠はあるかい?

    ちょっと調べれば出てきますから自分で調べてみてください。
    親とか先人達から直接聞きましたよ、太田元知事もその頃からおかしくなって話がかみ合わなくなったと言っていました。

    私もよく覚えていますが、復帰前は学校にも日の丸が掲げてあり、君が代も歌っていました。 公休日には皆んな家の玄関に日の丸を掲げてましたよ、それが何故か沖縄返還阻止運動が起こり荒れていました。

    皆んな本土復帰を望んでいたのに日教組や左翼が本土から来て復帰反対運動をしだした。
    その時に、沖教組や公務員が「沖縄は日本に捨て石にされた」とか嘘を吹き込んで洗脳、日の丸を燃やしたり反日運動と自衛隊反対運動が起こった。

    私の家族や親戚知人などは大丈夫だったけど、沖教組は学校で子供達に反日・反米教育をしだした。学生運動もあったし琉大でも学生運動してましたよ、時代を生きていましたので事実です。

  39. 匿名 より:

    ちなみに、どうして沖縄が左翼系の運動の橋頭堡となったかについて。

    仲村先生の話によると沖縄県は祖国復帰を念願して学校の先生方が先頭に立って運動を続けてきましたが、その手にはいつも日の丸がはためいていたそうです。それがいわゆる70年安保(昭和45年)騒動の中で、安保反対で盛り上がる本土から左翼の工作員がやって来て、沖縄の教職員組合を洗脳し、いつの間にか「日の丸」が「赤旗」に取って代わり、祖国復帰運動が沖縄返還協定阻止運動に変貌していきました。そしていつの間にか沖縄は左翼政権と左翼マスコミに乗っ取られ、米軍、自衛隊抜きの返還を求める左翼勢力が支配するところとなり、反戦、反米の拠点として、今日まで至っているということでした。

    今でもはっきり覚えているが自衛隊反対運動もすごかった。
    成人式を迎えた自衛隊が式典の会場である学校に入ろうとすると、今、辺野古でやっているように自衛隊に罵声を浴びせ会場に入れないように妨害活動をしていたのを覚えています。

    復帰後皇太子と美智子様が沖縄訪問した時に火炎瓶を投げたのも県外から来た新左翼、その時逮捕された犯人が今では名護市で市議をやって辺野古反対運動をしているのる。

  40. 匿名 より:

    沖縄民としておくが、
    沖縄民の中では、祖国復帰と基地撤去(縮小)は、一体のものだった。
    日の丸掲揚と基地撤去(縮小)要求は、矛盾せずに同居していた。

    基地撤去が、アメリカ支配から脱して、日本になることの最大の意味だから。
    なにより祖国復帰運動の発端からして、外国軍支配の解放の願いからだ。

    基地撤去、外国軍支配の解放要求は、祖国復帰運動の「最初から最後まで一貫」している。
    途中から左翼工作員がなんてことではない。
    外国軍支配の解放要求が、左翼ということ自体がおかしいだろ

    琉球政府主席選挙では、「即時無条件全面返還」の屋良朝苗を選び、一方で祖国復帰の日の丸を掲揚した。

    しかし、日本政府は、「本土並み」と言っていたのに、沖縄返還協定で、基地撤去(縮小)は、要求しないとした。
    外国軍の支配のままだということだから、沖縄民は反対した。
    左翼だからではない。外国軍の支配排除要求が、左翼ということ自体がおかしい

    それから、コピペを自己の体験のように貼るな。
    復帰前の話に復帰後の事実を混ぜ込むな。

  41. 匿名 より:

    太田元知事なんて書いていたか。
    太田元知事なんていないし、大田昌秀知事なら、1990年のこと。
    なにが「そのころから」だよ。復帰して18年も後のこと

    君のお話は全てデタラメ。

    いつも、時代がバラバラのものを、いっしょくたにまとめてしまって、毎度指摘するが、オツムおかしい。オツムおかしい。

    何も理解できてないのに、コピペを貼りまくるからだ。

  42. 匿名 より:

    >太田元知事なんて書いていたか。
    >太田元知事なんていないし、大田昌秀知事なら、1990年のこと。
    >なにが「そのころから」だよ。復帰して18年も後のこと

    >君のお話は全てデタラメ。

    太田元知事が知事の頃とは書いてませんよ、大田さんが琉大で勤務してた頃で復帰前に日教組が洗脳してた頃の話、父が同じ職場だったので嘘ではありませんよ、貴方の勘違い。
    その頃にチチェ思想になった沖教組や公務員が普天間基地や辺野古で反対運動をしています。

    デタラメの根拠は?

    大田元知事のチチェ思想は有名な話です。
    自分で検索して調べたら分かる事!

  43. 匿名 より:

    大田昌秀の話は、他でやれ

    おまえは、かまってちゃんの荒らし
    長文コピペで、話はいつもデタラメ。

  44. 匿名 より:

    >それから、コピペを自己の体験のように貼るな。
    >復帰前の話に復帰後の事実を混ぜ込むな。

    その頃から革新派は過激だった!
    自民党に事務所を貸したら脅迫してガソリン巻いて火をつけられそうになって警察を呼んだ事もある! 真実!

    >琉球政府主席選挙では、「即時無条件全面返還」の屋良朝苗を選び、一方で祖国復帰の>日の丸を掲揚した。

    >しかし、日本政府は、「本土並み」と言っていたのに、沖縄返還協定で、基地撤去(縮>小)は、要求しないとした。

    それでも県民の殆どが本土復帰を喜んでいました。

    じゃあ、何故基地全面撤退を願っていた人たちが復帰反対運動をしてたのですか?
    そして琉球独立を叫んでいたのは何故?

    現在も基地全面撤退が県民の総意ではないのと同じで、当時も基地全面撤退が県民の総意ではなかった。

  45. 匿名 より:

    >大田昌秀の話は、他でやれ

    >おまえは、かまってちゃんの荒らし
    >長文コピペで、話はいつもデタラメ。

    ね、反対派は反論できなくなるとデタラメしか言わなくなる。
    大田元知事や琉球新報の人は反対派の代表としてよくテレビに出てきますが

    >いつも、時代がバラバラのものを、いっしょくたにまとめてしまって、毎度指摘する >が、オツムおかしい。オツムおかしい。

    「歴史は繰り返す」って言葉知ってますか?
    時代がバラバラではないですよ、基地反対運動も今に始まった事ではありません。

    >基地撤去が、アメリカ支配から脱して、日本になることの最大の意味だから。
    >なにより祖国復帰運動の発端からして、外国軍支配の解放の願いからだ。

    貴方が本土復帰が起源だと言ってますが、その時その時で適当に言ってるの?
    ちゃんと時代を生きていたらつながると思いますが

  46. 通りすがり より:

    今の感覚では、わからないと思うけど
    復帰前は保守が復帰反対で革新が復帰を望んでいた

    保守は、沖縄が復帰したら戦前の芋、裸足に戻ると言っていた

  47. 匿名 より:

    ネトウヨが、沖縄は左翼の島とかいうが

    外国軍支配からの解放要求が左翼で、
    外国軍支配の強化要求は、保守だ、
    などという発想自体が、日本にしか存在しない、おかしな論理だ。

    そんな国が他にどこにある?

  48. 匿名 より:

    反対派が関わっている県外の団体が反日左翼ばかりなのが問題、沖縄に過激派はいらない。

    北朝鮮がこんな状態でも学校で先生が生徒に「北朝鮮はいい国」だといい「日本軍は酷い」「沖縄独立」などなどを授業で教える、それを聞いた女子は韓流と同じ様なのが感覚で北朝鮮に行ってみたいと言うと北朝鮮への行き方を教える、これってどうなの?

    北朝鮮って日本人を拉致して返さない国なのにそんな国がいい国だと教え行き方を教える。教師がやる事なの?

    家は父は革新、母は保守だったけど復帰したら戦前の芋、裸足に戻るなんて話しは聞いた事がないですよ、どこの田舎の話ですか?

    復帰前でも叔母とか親戚とか県外の大学に行ったり県外に就職したりしてたし、近所の人も大阪万博に行ったりしてたので、復帰したら芋と裸足になる話をしている人を見た事ありません。

    反対派は日本が方言も取り上げて禁止したとか言うけど、私が当時学校の先生から聞いたのは、先輩達が県外に進学したり就職した時に標準語が喋れず苦労したから学校では標準語を使いましょうでした。

    革新が本土復帰を一番願っていたのはわかります、それが何故急に復帰阻止になったかが問題、そこに日教組が関わっているって事。

  49. 匿名 より:

    思い出しました。
    復帰したら芋と裸足は聞いた事がないですが、あの頃の沖縄はアメリカ統治下だったので本土よりいい生活をしていました。

    医療も最先端で本土より沖縄の方が進んでいて、中部病院には本土からの研修生が来てたし、看護教育もアメリカと同じだったので本土の病院から引っ張りだこでした。

    きっと復帰して生活が後退するのを嫌がった人達はいたと思います。
    実際、復帰した時は1ドル=360円だったので貯金がかなり目減りして物価上昇、給与は下がって不満も言ってる人が結構いました。

    でも、生活が大きく変わったとは感じなかった。

  50. 匿名 より:

    医療が最先端は、米軍用。
    琉球大学に医学部が設置されたのすら、復帰後もずっと経って1979年。
    市民を診ていたのは、医師じゃなくて介輔
    復帰ごろでも結核すら克服していなかった。

  51. 匿名 より:

    アメリカ統治によってもっとも進歩したのは医療、衛生環境です。
    戦後アメリカは沖縄の近代化に莫大な投資をしでいます。
    全島内を縦横に走る道路、琉球大学や沖縄国際大学などの教育機関の設置、そして医療水準の向上と感染症の撲滅に心血を注ぎました。

    戦前の沖縄は本土には遠く及ず感染症のデパートで、結核、マラリア、ハンセン氏病などの、罹患率や死亡率は本土平均の数倍から20倍と言う悲惨。

    アメリカ軍政府は「沖縄振興の基礎は住民啓蒙と衛生環境の整備にある」と結論し、看護学校を設立、米国型スーパーナース(公衆衛生看護婦)の育成に着手しました。沖縄県は150の島から形成されております。そのうち有人島は61カ所、そのすべてに公衆衛生看護婦を配置し、住民とくに婦人層の教育にあたり、感染症防遏対策を徹底しました。

    マラリアを撲滅するために、飛行機から大量のDDTを散布して、マラリア蚊を全滅させるなど、アメリカならではの物量作戦で、本当に沖縄からマラリアを撲滅しました。

    また沖縄で破壊されたハンセン氏病療養施設を、終戦後直ぐに復活させそこで当時発見されたばかり特効薬プロミンを使った治療を行いました。 この治療薬の発見で、それまで不治の病だったハンセン氏病は、普通に治る病気になったのです。
     
    この時、アメリカから赴任して沖縄でのハンセン氏病患者救済に当たった医師R・V・スコアプラント中佐は、その後の生涯を沖縄のハンセン氏病治療に捧げました。

    また県内各所に診療所を開設して、アメリカ軍の軍医と看護婦が県民の治療に当たり、 そしてこれらと並行してアメリカは医師と看護師の育成に力を注ぎます。

    医師は沖縄県の青年を本州の大学の医学部に送り医師免許を取らせましたが、沖縄県内の病院ではアメリカ式のインターン制度で実地の能力を高めました。

    このインターン制度のよるレベルアップは大変有効で、日本がインターン制度を作った時は、沖縄の病院でのインターン歴と言うのが、最高と言う評価を得ています。

    そして看護婦養成の為には看護学校を設立しました。
     
    この看護婦もアメリカの従軍看護婦の教育を基本にしました。 アメリカの従軍看護婦は将校待遇で、緊急時には医師に代わって処置ができるレベルです。

    そして看護学校の卒業生の中で優秀な学生を、日本本土やアメリカの病院や大学に送って更なるランクアップを図りました。

    持ちの地区を毎日巡回して、地域の人々の医療相談を受け、公衆衛生の指導をし、結核患者など感染症患者を見つけると、症状に応じて入院を薦めそのの手配をしたのです。

    そしてこうしたスーパーナースの活躍によって、戦前は罹患率で本土の二倍、死亡率は4倍と言われた沖縄の結核は減少していきました。 こうした患者の移送や検診治療に必要な機器の運搬は、米軍のヘリや艦船がやってくれました。

    アメリカ政府と米軍の支援による医療の近代化のお蔭で、沖縄の医療水準は瞬く間に本土のそれを追い越して、アメリカ並みになり戦前47歳だった沖縄県民の平均寿命も順調に伸びて行き、アメリカの統治が始まってから26年後、沖縄は日本に返還されましが、この時、沖縄の平均寿命は74歳で、日本一の長寿県になっていました。

    米国の統治下でできた中部病院は、終戦後の医師不足を打開すべくあらゆる疾患に対応でき、即戦力のある医師の養成を目指して北米方式による医師臨床研修を行い、本土からも医師が研修に来ていました。

    その頃、沖縄の中部病院での研修は医者としてのステイタスになりました。

    アメリカは看護師の他にも、多数の沖縄の若者をアメリカに留学させて、潤沢な奨学金を与えました。 そしてアメリカの移動は勿論米軍機です。

    こんな事、戦後の貧しい日本政府にできますか?

  52. 匿名 より:

    アメリカが沖縄を豊かにして、県民の寿命を延ばしたと言う事実は、反基地一色に染まった現在の沖縄では非常に都合が悪いようです。

    イヤ沖縄だけでなく、反米しなければ生きていけない日本本土のマスゴミにとっても、都合が悪いようです。

    だから沖縄でも本土でもこの事実は隠蔽します。

    NHKが沖縄の離島のマラリア撲滅を番組で取り上げましたが、機材や患者を運んだのが米軍であることは完全に隠蔽しました。
     
    出演した元スーパーナースは「当時の制服は自分の宝物なので、死んだら棺桶に入れて欲しい」と言いました。
    でもその制服は米軍の将校の妻たちが、米軍将校クラブで寄付を集めて作ったものでした。

    こうして全てを隠蔽する事で、ひたすら反米を煽る事で、「基地の負担」の対価を吊り上げたい人々が、沖縄には多数いるようです。
    そして本土の左翼とメディアもそれに便乗しているのです。

    これってどこかの国にそっくりでしょう?

    また嘘とかデマとか言わないでね、私の母は元スーパーナースで中部病院で働いたので当時の事は聞いてます。 母方の叔父は米軍統治下で儲けたお金で沖縄の医者不足改善にと、頭のいい子に返済不要の奨学金を出して本土の医学部に学生を送り込んでいました。 国費が出る様になってやめましたけどね。

  53. 匿名 より:

    >医療が最先端は、米軍用。
    >琉球大学に医学部が設置されたのすら、復帰後もずっと経って1979年。
    >市民を診ていたのは、医師じゃなくて介輔
    >復帰ごろでも結核すら克服していなかった。

    これって誰に教えてもらったの?

    中部病院を本土の病院がお手本にして研修生が沢山来てたのは教えてくれなかったの?

    沖縄が本土の様に救急患者のたらい回しが無いのは米軍統治下で米国方式の医療をしてたから、でも本土復帰してからは医療水準は下降中。

  54. 匿名 より:

    やっぱりただの長文ネトウヨ
    北朝鮮がいい国だなんて 聞いたこともない

  55. 匿名 より:

    >やっぱりただの長文ネトウヨ
    >北朝鮮がいい国だなんて 聞いたこともない

    北朝鮮はいい国みんな誤解してるは、最近うちの子が中学の社会の時間に先生が言った発言、北朝鮮の様子や行き方を教えたそうですよ、集団的自衛権も戦争法案って言ってたらしく、子供が色々突っ込んだらシドロモドロではっきり答えられなくて、最終的にそれは周りが右翼だからで終わったそうです。

    左翼は都合が悪くなると皆んな最後は「右翼」しか言えなくなるの?

  56. 匿名 より:

    こんなことも言ってたそうです。「日本は韓国に感謝しないといけない、今日本があるのは韓国のおかげ」「日本軍は沖縄に酷いことをした」などなど、社会の授業で必要?

  57. 匿名 より:

    今の政府批判と沖縄独立も言ってたそうです。

  58. 匿名 より:

    >本土から研修生が沢山きて、

    「そのまま沖縄に残って、沖縄医療に従事した」
    って書いてあるものを探してきてよ。
    米軍人優先のなか市民のための病院施設がどれほどあったかも。
    どんなに最先端でも、それは、米軍人のためのもの

    米国方式の医療ってのは、患者の2分化のことだ(今も)
    最先端医療を受けられる患者と、最低限の医療すら受けられない者の2分。

    ただ、公衆衛生看護婦は、予防医療で貢献して、医師不在をおぎなった功績は大きい
    治療してもらえないから、予防しかなかった

    平均寿命は、もともと本土よりは高かったから日本一の長寿になったが、戦後の伸び率は、本土と変わらない。
    医師不在でも本土と変わらない伸び率は、看護婦育成のおかげだな

    DDTの空中散布は、沖縄戦の本島上陸の日から始まっている。
    つまりは、軍のためのマラリア防疫が、住民の役にも立ったという面がある。

    もうひとつ言っておけば、戦前に台湾以下の3等扱いだったから、感染症蔓延地域だったんだろ

  59. 匿名 より:

    ネ申の領域は、迂回しましょうね。
    ムダ長文コピペ ネ申 に反応してはいけません。

    話を戻しますよ。

    市民、県議会、市議会などに反基地運動があったことは、共通の理解であり、日本中の誰一人として否定してません。

    そのうえで、論点は、新設の際の土地選定や、92年まで続いた移転計画が実現できなかった理由は、(それぞれ)物理的理由であったのか、それとも反基地運動であったのか。

    表題論点の他、
    新設の際の土地選定については、このあたりかな。

    土地があったのは、佐真下とかのほう。
    普天間から喜友名にかけて、人口急増で分離、新設することになったんだからあの狭いエリアに土地は残ってない。
    公立小学校は、児童が徒歩通学可能な距離というのがあるから、どこにでも造れるというものではない

    普天間第二小学校が建設・開校したのは1969年

    【沖縄の真実】 普天間第二小学校建設と普天間基地の歴史
    ~「世界一危険な基地」になったのは、1970年代
    matome.naver.jp/odai/2145713863905515101

  60. 匿名 より:

    普天間第二小学校の移転に反対
    普天間基地の移設反対
    普天間基地は反対派の食い扶持ですね。

  61. 匿名 より:

    >「そのまま沖縄に残って、沖縄医療に従事した」
    >って書いてあるものを探してきてよ。
    >米軍人優先のなか市民のための病院施設がどれほどあったかも。
    >どんなに最先端でも、それは、米軍人のためのもの

    貴方は誰に洗脳されたの?

    貴方は沖縄の人ではないですね、沖縄のことを何もしらなさすぎ、出してくる資料も話も左翼の捏造ばかり、米軍統治下なんて経験したことないでしょう、だからトンチンカンなことしか言えないんですよ。

    なんで最先端の医療を学びに来た研修生が沖縄に残らないといけないの?

    >方式の医療ってのは、患者の2分化のことだ(今も)
    >最先端医療を受けられる患者と、最低限の医療すら受けられない者の2分。

    ちょと調べればわかるのにこんな馬鹿まるだしなことを書いて恥ずかしくないですか、、これって誰に教えてもらったの?
    貴方が想像したの?
    私は無知ですと言ってる様なものです。

    >戦前に台湾以下の3等扱いだったから、感染症蔓延地域だったんだろ

    それ、米軍となんの関係があるの?
    日本も撲滅しようとしてたけど出来なかったんだよね、理由はどうあれ米軍が撲滅したから県民の死亡率は減り寿命は延びた。

  62. 匿名 より:

    なげキングは連戦連敗だなw

  63. 匿名 より:

    ネトウヨ 話を作るなよ

  64. 匿名 より:

    自分で出した話題なら、よく考えてからものを言え。

    >沖縄はアメリカ統治下だったので本土よりいい生活をしていた例として
    >医療が最先端の中部病院に本土からの研修生が来てた

    を上げたんだろ?

    研修生が研修を終わったら、とっとと本土に帰ってしまって
    沖縄の「本土よりいい生活」にどう結び付くんだよ。

    医師一人当たりの担当人口が、東京1000人、九州平均1500人(最低の宮崎でも2500人)の時代に、沖縄は5000人超だった。離島は医師一人で1万人を診なくてはいけなかった(外科や内科の区別も無いわ)。

    沖縄に医師がいないのに、研修を終わったら、とっとと本土に帰っていく。
    市民は、医介輔に頼るしかなかった。

    生まれは沖縄だよ

     ネ申 の相手は、ここまで

  65. 匿名 より:

    終戦直後の沖縄の医療事情は今では想像を絶するほどの状況にあった。終戦直後約33万人いた沖縄の人口は本土や海外からの引き揚げが開始されたため、昭和25年には69万人に膨れ上がったが、地元の医師はわずか131人しかいなかった。しかもそのうち40歳以上の医師が76パーセントを占め、過労と老衰で毎年2、3人の医師が他界していた。そこに沖縄の風土病マラリアと結核が猛威をふるった。とくにマラリアは昭和21年には患者17万1000人(死亡965人)、翌22年には患者16万人(死亡909人)を数えた。
      このとき米軍は県下160ヶ所に病院、診療所を開設、米軍医師と衛生兵が県民の医療に従事した。そしてマラリアは昭和35年には撲滅されることになる。
      米軍の功績はこれだけにはとどまらない。昭和21年には貨幣経済が復活したが、診療費は無料、23年には有料になったが、これも低く抑えられた。しかも米軍は沖縄の医師不足を解消するため、昭和24年より沖縄の青年24名をスポンサーとなって本土の医学部で学ばせたのを皮切りに、27年までに計120名の医師を育成した。現在も沖縄の県立中部病院が国内の学会から高い評価をえているのは、米軍政府(昭和25年以降、民政府と改称)の支援ではじまったハワイ大学医学部との提携が今も続いていることによる。
      また米軍は、沖縄住民の生活安定のため本土侵攻用に備蓄した食糧、建築資材を民間に供出した。本土から見れば、これらは垂涎の的であり、なんと沖縄近海では密輸まで頻発している。
      当初米軍は貨幣経済の復活にあたり、日本円を使用させたが、引き揚げ者が持ち込む通貨と、この密輸によってもたらされた通貨が相乗し、インフレ懸念が強まった。そこで米軍はインフレを回避する策として、最終的に沖縄の通貨をドルにしたのである。このため沖縄経済は当時世界で最も豊かだった米国経済に支えられ、急速に復興していった。皮肉なことに、沖縄の活発な経済に魅了されて、昭和27年復帰した奄美大島からは約3万人が沖縄へ移住している。

  66. 匿名 より:

    >研修生が研修を終わったら、とっとと本土に帰ってしまって
    >沖縄の「本土よりいい生活」にどう結び付くんだよ。

    馬鹿なの?

    医療が遅れているところから最先端の医療を学びに来て地元に帰り地元の地域医療に貢献する。当たり前だよね、今でも、日本から海外の大学や病院に研修や留学している医師も日本に帰ってきて自国の医療の向上を図るのと同じでしょう!

    >医師一人当たりの担当人口が、東京1000人、九州平均1500人(最低の宮崎でも2500人)の時代に、沖縄は5000人超だった。離島は医師一人で1万人を診なくてはいけなかった(外科や内科の区別も無いわ)。

    ★戦後の沖縄の医師は60名しかいなかった中、米軍が県内各所に診療所を開設して、アメリカ軍の軍医と看護婦が県民の治療に当たり、 そしてこれらと並行してアメリカは医師と看護師の育成に力を注いだ。 これも長文に書いてあります。

    私の母はこの教育を受けて中部病院で働いていたスーパー看護婦だったから嘘ではない!

    >沖縄は5000人超だった。離島は医師一人で1万人を診なくてはいけなかった(外科や内科の区別も無いわ)。

    これっていつの話ですか?

    医師が足りない離島は看護婦を送り込んで医療相談を受け、公衆衛生の指導をし、結核患者など感染症患者を見つけると、症状に応じて入院を薦めそのの手配をしたのです。

    そしてこうしたスーパーナースの活躍によって、戦前は罹患率で本土の二倍、死亡率は4倍と言われた沖縄の結核は減少していきました。 こうした患者の移送や検診治療に必要な機器の運搬は、米軍のヘリや艦船がやってくれたと、これも長文に書いてあります。

    ★米軍が公衆衛生を整え看護婦や医師不足解消のため多額の資金を投資しして看護学校を
    作り看護婦を育成し沖縄の青年を本土の医学部に行かせ制度を整えたのは事実、当時の看護体制は日本の体制ではなくアメリカ本土と同じ、アメリカの従軍看護婦は将校待遇で、緊急時には医師に代わって処置ができるレベルだとちゃんと長文に書いてあるけど、日本語読めないの?

    ★医師は沖縄県の青年を本州の大学の医学部に送り医師免許を取らせましたが、沖縄県内の病院ではアメリカ式のインターン制度で実地の能力を高めた、これも長文に書いてあるけど

    私の叔父は沖縄に医者を増やすため成績の良い学生を私費で本土の医学部に行かせてました!

    ★このインターン制度のよるレベルアップは大変有効で、日本がインターン制度を作った時は、沖縄の病院でのインターン歴と言うのが、最高と言う評価を得ています。

    意味わかりますか?
    海外の有名大学や大学院に留学したり研修していたら肩書きになりますよね、ステイタスになって箔がつくって事!

    ★看護婦養成の為には看護学校を設立しました。
    この看護婦もアメリカの従軍看護婦の教育を基本にしました。 アメリカの従軍看護婦は将校待遇で、緊急時には医師に代わって処置ができるレベルです。

    そして看護学校の卒業生の中で優秀な学生を、日本本土やアメリカの病院や大学に送って更なるランクアップを図りました。

    >生まれは沖縄だよ

    沖縄の何処にいたらそうなるの?
    アメリカ統治下を経験していないの?
    いったい誰にレクチャーされて洗脳されてるのか………

  67. 匿名 より:

     ネ申 が 恵隆之介のコピペを続ける

    最強タッグだな

    ムダ長文コピペ ネ申 って、まったくそのとおりだわ

    それが、まともな文章かどうかよく読め。

     ネ申 の相手は、本当にお終い

  68. 匿名 より:

    あれ? 終わりじゃなかったの?

    わざと惠隆之介のコピペを出しましたよ〜、思ったとうりの反応わかりやすいですね!

    終わりと言いながら我慢できないよね、こうやっていつも否定しに来る ?

    貴方が言う事は左翼の情報ばかり、沖縄生まれなら貴方の米軍統治下での経験を教えてください。

    私は生まれも育ちも沖縄、米軍統治下軍統治下時代も経験している、母は米軍統治下時代に教育を受けたスーパーナース、当時中部病院で働いていた。

    父は戦争の時足を米兵に撃たれたけど民間人だとわかると米軍の野戦病院に運ばれて、米兵から輸血をし治療してもらい生き延びた。

    統治下時代もちゃんと病院や医院もあったし歯医者もあった、中部病院が米兵軍人の為のものは貴方の嘘!米軍は米軍専用の病院がありました!

  69. 匿名 より:

    >研修生が研修を終わったら、とっとと本土に帰ってしまって
    >沖縄の「本土よりいい生活」にどう結び付くんだよ。

    馬鹿なの?
    戦後の医師不足は沖縄だけ?
    本土からの研修生はあくまで研修しに来たんであって帰るのは当たり前、研修しにアメリカや県外に行ったらそこに移住しないといけないの?
    研修して地元に戻って地域医療のために貢献するのが自然の流れです。

    >沖縄に医師がいないのに、研修を終わったら、とっとと本土に帰っていく。
    >市民は、医介輔に頼るしかなかった。

    医介輔は戦後医者が60名位しかったから医師不足を補うため特別に許可したものですよ、しかも、制度の前身はアメリカ海軍!

    ★医介輔は「Medical Service Man」として、米国民政府によって明文化され、単に介輔(かいほ)とも呼ばれた。

    制度の前身はアメリカ海軍が沖縄戦終結後、旧日本軍衛生兵を始めとした医療経験のある者を「医師助手(Assistant Doctor)」、「歯科医師助手(Assistant Dentist)」として登
    録し、地域住民の診察行為に従事させたものである。資格には「一代限り」、「現地開業」などの条件が付いており[1]、さらに抗生物質や麻酔薬を自由に使えないこと(後に制限解除)、手術が行えないなどの制限もあった。

    ★そして、アメリカ軍政府が医介輔以外に医師不足解消のためにした事

    県内各所に診療所を開設して、アメリカ軍の軍医と看護婦が県民の治療に当たり、 そしてこれらと並行してアメリカは医師と看護師の育成に力を注ぎます。

    医師は沖縄県の青年を本州の大学の医学部に送り医師免許を取らせましたが、沖縄県内の病院ではアメリカ式のインターン制度で実地の能力を高めました。

    >医師一人当たりの担当人口が、東京1000人、九州平均1500人(最低の宮崎でも2500人)の時代に、沖縄は5000人超だった。離島は医師一人で1万人を診なくてはいけなかった(外科や内科の区別も無いわ)。

    医師不足だったから各離島や医師のいない所には看護婦を派遣して受け持ちの地区を毎日巡回して、地域の人々の医療相談を受け、公衆衛生の指導をし、結核患者など感染症患者を見つけると、症状に応じて入院を薦めそのの手配をしたのです。

    そしてこうしたスーパーナースの活躍によって、戦前は罹患率で本土の二倍、死亡率は4倍と言われた沖縄の結核は減少していきました。 こうした患者の移送や検診治療に必要な機器の運搬は、米軍のヘリや艦船がやってくれました。

    >離島は医師一人で1万人を診なくてはいけなかった(外科や内科の区別も無いわ)。

    中部病院がその頃やっていた最先端の医療が、貴方が言ってる(外科や内科の区別も無い)総合的に見れる医師の育成、今でいう救急医療!

    惠隆之介の書いてある
    >皮肉なことに、沖縄の活発な経済に魅了されて、昭和27年復帰した奄美大島からは約3万人が沖縄へ移住している。

    これ、本当の話だからうちの親戚は徳之島から移住、当時永住許可証を見せてもらったのを覚えている。

    >生まれは沖縄だよ

    貴方の覚えている米軍統治下の時代を教えて下さい。

  70. 匿名 より:

    ブサヨが遊ばれているw

  71. 匿名 より:

    >DDTの空中散布は、沖縄戦の本島上陸の日から始まっている。
    >つまりは、軍のためのマラリア防疫が、住民の役にも立ったという面がある。

    >もうひとつ言っておけば、戦前に台湾以下の3等扱いだったから、感染症蔓延地域だっ>たんだろ

    それって、沖縄は米軍に統治されてなかったら、マラリアも撲滅できず台湾以下の3等級扱いの感染蔓延地域のままだったてことだよね、

    >研修生が研修を終わったら、とっとと本土に帰ってしまって
    >沖縄の「本土よりいい生活」にどう結び付くんだよ。

    戦後の医師不足は何処も一緒、研修生は最先端の医療を学びに研修に来ただけで移住しに来たわけではありません。地元に帰って地元の地域医療に貢献するのは当たり前のこと

    >ただ、公衆衛生看護婦は、予防医療で貢献して、医師不在をおぎなった功績は大きい
    >治療してもらえないから、予防しかなかった

    米軍統治以前は公衆衛生看護婦とか予防医療の概念がないから、予防すらできてなかったてことですよ。

    >市民は、医介輔に頼るしかなかった。

    その医介輔も戦後の医師不足を補うために米政府が与えた資格!

    ★医介輔は「Medical Service Man」として、米国民政府によって明文化され、単に介輔(かいほ)とも呼ばれた。

    制度の前身はアメリカ海軍が沖縄戦終結後、旧日本軍衛生兵を始めとした医療経験のある者を「医師助手(Assistant Doctor)」、「歯科医師助手(Assistant Dentist)」として登録し、地域住民の診察行為に従事させたものである。資格には「一代限り」、「現地開業」などの条件が付いており[1]、さらに抗生物質や麻酔薬を自由に使えないこと(後に制限解除)、手術が行えないなどの制限もあった。

    >沖縄は5000人超だった。離島は医師一人で1万人を診なくてはいけなかった(外科や内>科の区別も無いわ)

    戦後医師は60人しか居らず、アメリカ軍の軍医と看護婦が県民の治療に当たり、 そしてこれらと並行してアメリカは医師と看護師の育成に力を注ぎいだ。

    医師は沖縄県の青年を本州の大学の医学部に送り医師免許を取らせましたが、沖縄県内の病院ではアメリカ式のインターン制度で実地の能力を高めました。

    >沖縄は5000人超だった。離島は医師一人で1万人を診なくてはいけなかった(外科や内>科の区別も無いわ)。

    看護婦もアメリカの従軍看護婦の教育を基本にしました。 アメリカの従軍看護婦は将校待遇で、緊急時には医師に代わって処置ができるレベルです。

    そして看護学校の卒業生の中で優秀な学生を、日本本土やアメリカの病院や大学に送って更なるランクアップを図りました。

    その看護婦を、医師のいない離島や僻地に派遣、受け持ちの地区を毎日巡回して、地域の人々の医療相談を受け、公衆衛生の指導をし、結核患者など感染症患者を見つけると、症状に応じて入院を薦めそのの手配をしたのです。

    そしてこうしたスーパーナースの活躍によって、戦前は罹患率で本土の二倍、死亡率は4倍と言われた沖縄の結核は減少していきました。 こうした患者の移送や検診治療に必要な機器の運搬は、米軍のヘリや艦船がやってくれました。

    > (外科や内科の区別も無いわ)

    まさに中部病院でやっていた最先端医療が貴方の言う外科や内科の区別がない救急医療なのです。

    だから、沖縄では県外の様に救急患者のたらい回しがないのです。

  72. 匿名 より:

    >最先端医療で外科や内科の区別がない救急医療

    医者や看護婦が何人もいてチーム救急医療を行うのと、1人だけの医者が1万人相手に、産科も外科も痴呆も相手しなきゃいけないのとは、「区別がない」の意味がまったく違う。

    それすらも理解できないの??

  73. 匿名 より:

    1950年、医師数131人で人口が69万人ならば

    人口10万人当たりの医師数は、19人。

    同年の全国平均(沖縄のぞく)は、92人。

    4年でたった120人は、悲しすぎるね。
    人口は、8万人増えていくのに

  74. 匿名 より:

    介輔を自慢するやつを初めて見た。

    医者さえいたならば、介輔なんて必要ないんだよ、げれん

  75. 匿名 より:

    ネトウヨうざい
    このトピに関係ない無駄長文

  76. 匿名 より:

    ムダ長文コピペ ネ申 に反応してはいけません。

    知能レベルがかなり低く、自分で書いていることすらほとんど理解しません。
    応答しても徒労に終わることは、
    このスレだけでなく、他スレでも、みなさん、よくお分かりのはず。

    反応してはいけません。

  77. 匿名 より:

    話を戻しますよ。

    市民、県議会、市議会などに反基地運動があったことは、共通の理解であり、日本中の誰一人として否定してません。

    そのうえで、論点は、新設の際の土地選定や、92年まで続いた移転計画が実現できなかった理由は、(それぞれ)物理的理由であったのか、それとも反基地運動であったのか。

    表題論点の他、
    新設の際の土地選定については、このあたりかな。

    土地があったのは、佐真下とかのほう。
    普天間から喜友名にかけて、人口急増で分離、新設することになったんだからあの狭いエリアに土地は残ってない。
    公立小学校は、児童が徒歩通学可能な距離というのがあるから、どこにでも造れるというものではない

    普天間第二小学校が建設・開校したのは1969年

    【沖縄の真実】 普天間第二小学校建設と普天間基地の歴史
    ~「世界一危険な基地」になったのは、1970年代
    matome.naver.jp/odai/2145713863905515101

  78. 匿名 より:

    うわ〜NEVAR をソースにするって
    凄いね!ね?
    琉球新報とどっちが正確かな?

  79. 匿名 より:

    そのソースの正確さを
    その間違いを指摘するなり、反論するなりして検証するってのが、
    このスレだろ。

    しかもNAVER は、それぞれ情報ソースを示してある。
    議論できないやつは、ロムってればよい。

  80. 匿名 より:

    >~「世界一危険な基地」になったのは、1970年代
    >matome.naver.jp/odai/2145713863905515101

    リンク先を読んでたらこんなことが書いてありました。

    圏から基地を遠ざけるために、沖縄が「基地の収容場所」(米国防長官室)にされた。

    ちなみに、岐阜基地などにいた海兵隊が、米軍統治下の沖縄、キャンプ・シュワブに移駐(1956年)することになったのもまた、

    ★60年安保闘争で基地反対運動が激しくなったための「基地の収容場所」に沖縄が使われた

    ★本土で削減縮小された米軍基地や部隊はどれも、米軍統治下の沖縄に移されただけ

    ★「世界一危険な基地」になったのは、1970年代
    1969年11月には、普天間基地に 第1海兵航空団第36海兵航空群が司令部を移設した。

    ★1974年に滑走路が再整備され、1976年には、第1海兵航空団司令部の移駐とともに機能強化が図られ航空基地となった。
    空中給油輸送隊(VMGR-152)やAH-1Jシーコブラなどの攻撃ヘリ部隊も配属され、ヘリ80機以上、固定翼25機にまで増強された。

    ★1969年までの普天間基地は、ベトナム戦争の最中でさえ閉鎖を検討されるほどの、ほとんど機能していない基地だった

    ★「70年安保改定」の犠牲になった沖縄

    ★「70年安保改定」を前に、それまで限定的な役割にとどまっていた普天間基地が、一転して機能強化されます。

    これって、60年・70年の安保闘争で左翼の反基地運動が激化したから沖縄の普天間基地に基地や部隊が移されたってことですよね、結局、普天間に基地を集中させる原因を作ったのが安保闘争で過激な活動をした左翼

    その左翼が●69年4月21日、本土・沖縄間の渡航審査が米民政府から琉球政府に委譲されており、本土より過激派が沖縄へ続々移動してきた。71年7月、琉球政府厚生局及び沖縄精神衛生協会理事会が、「本土よりの沖縄派遣医師の中に学生運動の前科がある者がいる」として厚生省へ抗議している。
    破壊活動はエスカレートし、琉球警察は法的に本土から応援も得られず、為す術がなかった。
    結果的に米軍部は、施政権の返還なくして基地の安定運用ができないことを認知することになる。皮肉にも左翼の行動がかえって日米交渉を促進したようです。

    沖縄の平和活動家と北朝鮮
    在沖米軍は北朝鮮への抑止力となるため北朝鮮にとっては非常に邪魔な存在です。
    そのため、北朝鮮は沖縄から米軍が出て行くように様々な工作活動を行っています。

    平壌に到着/沖縄平和友好訪問団
    この団長の大田昌秀 は、元社民党参議院議員(2001年~2007年)で、知事時代には沖縄社会大衆党や日本共産党を支持・支援していた人物です。左翼有名人リスト(あ行)参照。

    基地反対の集まりに左翼過激派の革マル派も参加
    www.youtube.com/watch?v=rhOhmauEI7c

    そして辺野古には中核派

  81. 匿名 より:

    matome.naver.jp/odai/2145713863905515101

    から読み取るに
    普天間第二小学校の建設地をあそこに定めた時点では、
    近いうちに普天間基地が閉鎖されるという予測が、市側にあったってことなのかね。

    米国防総省の閉鎖計画を,宜野湾市は知っていたのだろうか。

  82. 匿名 より:

    >>最先端医療で外科や内科の区別がない救急医療

    >医者や看護婦が何人もいてチーム救急医療を行うのと、1人だけの医者が1万人相手に、>産科も外科も痴呆も相手しなきゃいけないのとは、「区別がない」の意味がまったく違>う。

    >それすらも理解できないの??

    何でいつも理解力に乏しいのか?
    理解できてないのは貴方ですよ、1人だけの医者が一万人相手に産科も外科も痴呆も相手にするとは一言も書いていません。貴方の勝手な思い込みです何処に産科や痴呆と書いてますか?

    >(外科や内科の区別も無いわ)
    取り上げたのはこの部分だけです。

    >まさに中部病院でやっていた最先端医療が貴方の言う外科や内科の区別がない救急医療なのです。

    これの意味は、中部病院は、終戦後の医師不足を打開すべくあらゆる疾患に対応でき、即戦力のある医師の養成を目指して北米方式による医師臨床研修を行っていると言う意味です。

    ER型(北米型)救急体制で運営です意味わかりますか??

    ER救急救命自分で調べてから反論した方がいいですよ。

    解らないから
    >医者や看護婦が何人もいてチーム救急医療を行うのと、1人だけの医者が1万人相手に、>産科も外科も痴呆も相手しなきゃいけないのとは、「区別がない」の意味がまったく違>う。
    >それすらも理解できないの??

    と、こんなトンチンカンなことを書くのです。

    中部病院がやってるのはERであって貴方が言ってるチーム救急医療とは違います。
    勉強し直してね。

  83. 匿名 より:

    結局、ベトナム戦争の時でさえ閉鎖の話が出ていた普天間基地に、安保反対で左翼が騒いだせいで県外の基地が普天間に移設され基地が強化されたってこと!

    危険な基地を辺野古に移そうとしたらまた、本土から左翼が来てさわいで辺野古移設を反対活動をして危険な普天間基地を固定化しているってこと!

    沖縄は左翼の都合のいいように利用されている、県民として本当にこれでいいのかね。

  84. 匿名 より:

    左翼が騒いだけで右往左往する米軍なのか?

    国民全体や、県民全体のうねりになるからこそ
    在日米軍が存立の危機を感じ、日米政府が動くんだろ

    それにしても
    ムダ長文コピペ ネ申 は、かなりのレベルだな
    こわっ。

  85. 匿名 より:

    あ。。。これも
    ムダ長文コピペ ネ申 の書き込みか。

    反応しちまったか。
    これ以上、相手しないよ。

  86. 匿名 より:

    >これ以上、相手しないよ。

    と言って何度も出てくる
    厚顔無恥な なげキング

  87. 匿名 より:

    トピのリンク
    matome.naver.jp/odai/2145205875302404601

    恵隆之介かとおもったら、恵・隆之介なんだな。
    恵は、はいたいで始めるようだww

  88. 匿名 より:

    >左翼が騒いだけで右往左往する米軍なのか?

    匿名でも、喋れば喋るほど無知丸出しでバレちゃうなげキング、知らないのは米軍統治下の沖縄だけじゃなくて、60年・70年安保闘争がどうだったかも知らないんですね。

    安保闘争の頃の左翼に比べたら普天間や辺野古の左翼は、火炎瓶投げたり内ゲバしてないだけまだまし、結局左翼は協調性と話し合いが苦手なのでいつも最後は分裂する。

    反安保闘争は中国の操り人形 学生はいつも馬鹿だった – 世界のニュース …
    thutmose.blog.jp › archives
    2015/09/17 – 安保闘争をした60年代の学生達と、安保法制に反対する現代の学生達には共通点がある。 学生は社会の実 …
    thutmose.blog.jp/archives/43183870.html

  89. 中立 より:

    海兵隊は日本の抑止力として要らないから沖縄にも自分の地元にも要らないというブサヨ

    海兵隊は日本の抑止力として必要と言いながら沖縄に押しつけるネトウヨ

    さて、自己中でワガママで、おかしいのはどちら?

  90. 匿名 より:

    結局、60年・70年安保闘争も沖縄の反基地運動もバックは中国、それにうまく騙されてる人達。

    学生運動が盛んになったのは、戦後の混乱期を抜け出して高度成長が始まった1960年代、有名な文化人や政治家にも、まったく大学に行かず、火炎瓶を投げたり棒を振り回したのを自慢する人たちが居る。

    1960年代に学生運動が盛んになった大きな理由は、学生が裕福になり暇を持て余し、社会が甘かったからで、急に信念を持った訳ではなく、火炎瓶をオモチャ代わりに遊んだ、昭和の学生達が引きつけられたのは、毛沢東やレーニンといった共産主義の英雄達でした。

    これには伏線があり、共産主義者を日本で英雄にしたのはアメリカ政府とGHQでした。
    日本はロシア革命で皇帝を倒した事から、共産主義は反天皇であるとして、国内で厳しく弾圧した。

    一方アメリカやイギリスは日独に(最初)負けそうだったので、ソ連に助けを求め、共産主義を利用し、第二次大戦が終わり、GHQ(米軍)が日本を占領すると、日本政府が投獄していた共産主義者を全員釈放した。

    そればかりではなく大企業や新聞社、マスコミには共産主義者を雇用する義務を課し、世界一の発行部数を持つ日本の某新聞で、戦前逮捕歴があった共産主義者が絶大な権力を握ったのは、こういう理由です。

    NHKなどのメディアも、共産主義は平和主義者で、悪い日本を倒しましたのような放送を盛んにしていました。もちろんNHKに多くの逮捕者や共産主義者がもぐりこんで、今日の「反日放送局」を作り上げていった。

    GHQとアメリカ政府がこんな事をした理由は、日本には右翼に対抗する勢力は共産主義しかなかったからです。

    戦前からある大企業には必ず、こうした黒歴史みたいなのが存在しています。

    ネットを騒がせるいわゆる「反日企業」の大半は戦前からある古い企業か、その系列会社でまったくの新興企業が「尖閣諸島は中国の領土です」のような事を言う例は少ない。

    知らないのは学生本人だけ

    歴史ある古い企業ほど「反日」の理由は、役員や社長やオーナーが戦前の共産主義者だったり、その後継者だからです。

    この状況に上手くつけこんで来たのは中国の指導者、毛沢東で、日本赤化計画というものを開始しました。

    1965年頃から毛沢東は権力を奪還するための過激闘争を開始し、悪名高い「文化大革命」がそれで、まず騙しやすい学生を集めて集会を開き「君たちが社会を変えるのだ」と吹き込みました。

    因みに社会の実体験の無い若者を集めて洗脳し、暴動を起こさせる手口はフランス革命でも、ロシア革命でも使用されていました。

    学生に武器と権力を与えていきなり社会のトップの地位につかせ、それを毛沢東が操った訳です。「紅衛兵」という学生の軍隊および警察みたいな組織をつくり、権力者を襲撃させ、ついに権力を奪還した。

    毛沢東は再び共産中国の最高権力者になると、同じように「馬鹿な学生」を操れば日本を赤化できると考えた。

    折りしも日本ではGHQの指導によって、共産主義は崇高な理念で、共産主義者は皆良い人だと宣伝していたので、何の苦労も無く中国共産党は日本の学生や教授を通じて侵入し、60年代から70年代の学生運動を指導しました。

    学生達は中国に操られているのに最後まで気づかず、おそらく老人になった現在も気づかないまま、老人になった元学生達は現在の学生を騙しては、知ってか知らずか中国の為に働いているのです。

    現在は、共産党が偏差値28のシールズを利用して学生や若者を洗脳しようとしています。

    いいですか、中国は「バカな学生」を操れば日本を赤化できると工作員を送り込み、日本弱体化のため「日米安保反対」「集団的自衛権廃案」「憲法9条を守れ」「反米・反日」
    「自衛隊反対」「米軍基地反対」「天皇制反対」「歴史の改竄」ありとあらゆる工作活動をしています。

  91. 匿名 より:

    沢東は権力を奪還するための過激闘争を開始しました。

    悪名高い「文化大革命」がそれで、まず騙しやすい学生を集めて集会を開き「君たちが社会を変えるのだ」と吹き込みました。

    因みに社会の実体験の無い若者を集めて洗脳し、暴動を起こさせる手口はフランス革命でも、ロシア革命でも使用されていました。

    学生に武器と権力を与えていきなり社会のトップの地位につかせ、それを毛沢東が操った訳です。

    「紅衛兵」という学生の軍隊および警察みたいな組織をつくり、権力者を襲撃させ、ついに権力を奪還した。

    毛沢東は再び共産中国の最高権力者になると、同じように「馬鹿な学生」を操れば日本を赤化できると考えた。の指導によって、共産主義は崇高な理念で、共産主義者は皆良い人だと宣伝していた。

    何の苦労も無く中国共産党は日本の学生や教授を通じて侵入し、60年代から70年代の学生運動を指導しました。

    学生達は中国に操られているのに最後まで気づかず、おそらく老人になった現在も気づいていません。

    老人になった元学生達は現在の学生を騙しては、知ってか知らずか中国の為に働いているのです。

  92. 匿名 より:

    学生運動が盛んになったのは、戦後の混乱期を抜け出して高度成長が始まった1960年代、有名な文化人や政治家にも、まったく大学に行かず、火炎瓶を投げたり棒を振り回したのを自慢する人たちが居る。火炎瓶をオモチャ代わりに遊んだ、昭和の学生達が引きつけられたのは、毛沢東やレーニンといった共産主義の英雄達でした。

    これには伏線があり、共産主義者を日本で英雄にしたのはアメリカ政府とGHQでした。

    日本はロシア革命で皇帝を倒した事から、共産主義は反天皇であるとして、国内で厳しく弾圧した。

    一方アメリカやイギリスは日独に(最初)負けそうだったので、ソ連に助けを求め、共産主義を利用しました。

    第二次大戦が終わり、GHQ(米軍)が日本を占領すると、日本政府が投獄していた共産主義者を全員釈放した。

    そればかりではなく大企業や新聞社、マスコミには共産主義者を雇用する義務を課しました。世界一の発行部数を持つ日本の某新聞で、戦前逮捕歴があった共産主義者が絶大な権力を握ったのは、こういう理由です。
    NHKなどのメディアも、共産主義は平和主義者で、悪い日本を倒しましたのような放送を盛んにしていました。
    もちろんNHKに多くの逮捕者や共産主義者がもぐりこんで、今日の「反日放送局」を作り上げていった。

    GHQとアメリカ政府がこんな事をした理由は、日本には右翼に対抗する勢力は共産主義しかなかったからです。

    戦前からある大企業には必ず、こうした黒歴史みたいなのが存在しています。

    ネットを騒がせるいわゆる「反日企業」の大半は戦前からある古い企業か、その系列会社です。

    まったくの新興企業が「尖閣諸島は中国の領土です」のような事を言う例は少ない。

    毛沢東は、頭は良いが判断力が弱い学生を集めて、「社会を変えよう」と煽った。
    そうして政敵を倒したのが学生運動の始まりです。

    知らないのは学生本人だけ

    歴史ある古い企業ほど「反日」の理由は、役員や社長やオーナーが戦前の共産主義者だったり、その後継者だからです。

    この状況に上手くつけこんで来たのは中国の指導者、毛沢東で、日本赤化計画というものを開始しました。

    1965年頃から毛沢東は権力を奪還するための過激闘争を開始しました。

    悪名高い「文化大革命」がそれで、まず騙しやすい学生を集めて集会を開き「君たちが社会を変えるのだ」と吹き込みました。

    因みに社会の実体験の無い若者を集めて洗脳し、暴動を起こさせる手口はフランス革命でも、ロシア革命でも使用されていました。

    学生に武器と権力を与えていきなり社会のトップの地位につかせ、それを毛沢東が操った訳です。

    「紅衛兵」という学生の軍隊および警察みたいな組織をつくり、権力者を襲撃させ、ついに権力を奪還した。毛沢東は再び共産中国の最高権力者になると、同じように「馬○な学生」を操れば日本を赤化できると考えた。

    折りしも日本ではGHQの指導によって、共産主義は崇高な理念で、共産主義者は皆良い人だと宣伝していたので、何の苦労も無く中国共産党は日本の学生や教授を通じて侵入し、60年代から70年代の学生運動を指導しました。

    学生達は中国に操られているのに最後まで気づかず、おそらく老人になった現在も気づいていません。老人になった元学生達は現在の学生を騙しては、知ってか知らずか中国の為に働いているのです。

  93. 匿名 より:

    ブサヨ=日本政府、沖縄県警、海上保安庁、県民及び辺野古住民に迷惑をかけている違法集団

    ネトウヨ=親米、親日でブサヨが嫌いな人たち

    さて、自己中でワガママで、頭がおかしいのはどちら?

  94. 匿名 より:

    >ブサヨ=日本政府、沖縄県警、海上保安庁、県民及び辺野古住民に迷惑をかけている
    >違法集団

    >ネトウヨ=親米、親日でブサヨが嫌いな人たち

    >さて、自己中でワガママで、頭がおかしいのはどちら?

    ネトウヨの日本語能力では意味が解らないと思うけど、
    「これって、測る物差しが違うんじゃないの?」

    ちなみに、3月11日 10:47 AM は、同じ物差しを使っているな!

  95. 匿名 より:

    >2016年3月10日 11:59 PM

    クリフォード国防長官が普天間閉鎖うんぬんは、内部文書だから機密でしょう。

    ただ、ベトナム戦争中ですら、フェンスも無く出入り自由で、まったく軍事活用されていなかったというのが事実となれば、さすがに住民も閉鎖の可能性を肌で感じとっていたかもしれないね。

    少なくとも、現状より悪化するとは、(本土復帰の基地返還期待と相まって、)当時は誰も考えてなかったでしょう。

  96. 匿名 より:

    ネトサヨのなげキング
    今日もお疲れ様です。

  97. 匿名 より:

    ネトウヨ→無駄長文ダラダラで読む人の都合など考えずデマを盛り込む。ネットでうようよ。やたら自己中でワガママ。

  98. 匿名 より:

    >ネトウヨ→無駄長文ダラダラで読む人の都合など考えずデマを盛り込む。ネットでうよ>うよ。やたら自己中でワガママ。

    デマだという証拠は?

    読む人の都合の? 読みたくない人はスルーしたらいいだけですよ、

    左翼が添付したリンク先を開けば同じことですよね、リンク先を開けば左翼の捏造記事や左翼に都合のいい記事ばかり、しかも同じ記事を何度も何度もしつこく貼り付ける。

    自分はいいけど左翼に都合の悪い記事はダメとかどっちがいい自己中でわがままなのか?

    読んだ人が判断したらいい事ですよ。

  99. 匿名 より:

    ムダ長文コピペ ネ申 に反応してはいけません。

    ウダウダやる相手が欲しいだけなのだから、放置しておけよ。

    まさに スルーしたらいいだけ、 読んだ人が判断したらいい事 だ。
    彼もそう言っているんだから、放置せよ。

    >2016年3月11日 9:06 PM
    現状というのは、その当時の現状、フェンスも無くという状況だよね。

    ベトナム戦争中で、その状況であれば、
    それより悪化するとは考えにくかったと思われますね。
    アメリカ政府ですら、もう必要ないと判断していたような利用状態だったのだから

  100. 匿名 より:

    ネトサヨ→長文が読めず自分自身かま出したリンクにも不都合な真実があるという。
    自爆攻撃を繰り返す頭の悪い輩(なげキング)

  101. 匿名 より:

    >ムダ長文コピペ ネ申 に反応してはいけません。

    >ウダウダやる相手が欲しいだけなのだから、放置しておけよ。

    >まさに スルーしたらいいだけ、 読んだ人が判断したらいい事 だ。
    >彼もそう言っているんだから、放置せよ。

    >ウダウダやる相手が欲しいだけなのだから、放置しておけよ。

    彼? 私は女子ですよ、ちなみに3月12日 6:50 AMとは別人です。
    左翼ちゃんは、私と3月12日6:50AMをよく混同したコメントをしていますよ。

    貴方の言うとうり「まさにスルーしたらいいだけ、読んだ人が判断したらいい事」ですよね、でも、ウダウダする相手は求めていませんよ、偏ったよった一方的な情報だけではなく違う見方もある事もしってほしいだけです。

  102. 匿名 より:

    左翼ってこらえ性がないから、自分と違う意見の文章を見るとイライラして最後まで読めないだけでしょう?

    一方的に自己主張しかしないから会話も成立しない(辺野古や普天間にいる左翼)

    私が、報道ステーションやサンデーモーニング・ニュース23などなど、偏向番組を見てイライラするのと同じかな、でも私はイラついてもちゃんと最後まで見ますよ、見ないとどんな偏向報道しているか解らないですからね。

  103. 匿名 より:

    >2016年3月12日 6:49 AM

    「70年安保延長のため」に、日米で、日本国民や沖縄をダマシまくっていた時期です

    「沖縄返還」における『本土並み』の意味内容と密約
    note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n376609

  104. 匿名 より:

    あの岸井や田原なんかと一緒だな
    いざ公開討論をしようと言うと
    すく逃亡し相手にレッテルを貼って逃げるだけ

  105. 匿名 より:

    ウヨは頭が弱いから
    すぐ分かりにくい長文
    おまけに デマを盛り込む

    宣伝費無料で万歳掲示板利用
    これぞネトウヨってか

  106. 匿名 より:

    ブサヨは暇なんだね。
    かわいそう
    辺野古にでも言ったら?

  107. 匿名 より:

    とりあえず普天間基地の滑走路を、辺野古と同じ1800mに制限すれば、 クリアゾーンを普天間基地敷地内で大分確保できる。

  108. 匿名 より:

    ネットウヨウヨしてる暇あったら
    働けよ

  109. 市民 より:

    移設してほしいのに、普天間基地内に今更クリアゾーンの確保を求めるなんて・・・。

  110. 匿名 より:

    すぐに閉鎖されるわけでないのだから、「今更」ということはない。

  111. 匿名 より:

    クラッシャブルゾーンの基地内確保は、沖縄県がずっと要求してきたことですよ。

    実際には、すでにヘリについては、今も短縮運用されている
    輸送機や戦闘機も、辺野古で予定されていると同様に緊急時のみに着陸制限して短縮運用すべき

    辺野古でできるなら、普天間ではなおさら制限すべき

  112. 匿名 より:

    基地の周りに建設許可出した方の責任はないの?

    県外の基地の周りは法律で規制されてるのに沖縄はどうなっているの?

  113. 匿名 より:

    >県外の基地の周りは法律で規制されてる

    どんな法律?

  114. 匿名 より:

    >県外の基地の周りは法律で規制されてるのに沖縄はどうなっているの?

    どこの県の条例?
    沖縄を叩きたいだけなの?

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